大判例

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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)8103号 判決

原告

大嶋邦彦

外二名

右原告三名訴訟代理人

岡村親宜

右訴訟復代理人

山田裕祥

被告

辻川正長

右訴訟代理人

高田利広

小海正勝

主文

一  被告は、原告大嶋邦彦に対し金三、一八三万九、三一一円、原告大嶋邦彦に対し金二〇〇万円、原告大嶋キクエに対し金二〇〇万円及びこれらに対する昭和五〇年一〇月一七日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用の負担関係を別紙のとおり定める。

四  この判決中原告らの勝訴部分は、認容額の二分の一を限度として仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告大嶋邦彦に対し金八、六八一万六一一円、原告大嶋邦夫に対し金五〇〇万円、原告大嶋キクエに対し金五〇〇万円及びこれらに対する昭和五〇年一〇月一七日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告大嶋邦彦の出生

原告大嶋邦彦(以下原告邦彦という)は、原告大嶋邦夫(以下原告邦夫という)原告大嶋キクエ(以下原告キクエという)間の長男として、昭和四六年二月三日午後四時五五分、被告の開設、維持管理する辻川医院で出生した。

2  診療契約の締結

原告邦夫及び同キクエの両名は、被告との間に、昭和四六年二月三日原告キクエが辻川医院に入院するに際し、被告において生まれる子供にもし新生児期に特有な病的異常症状があればこれを医学的に解明し、その原因ないし病名を適確に診断したうえ、その症状に応じた適切な治療行為を行うことを内容とする診療契約を締結し、さらに原告邦彦出生に際し、同人の法定代理人として、同人にもし病的異常があれば、右同様、被告において、医学的解明、適確な診断及び適切な治療行為を行う旨の診療契約を締結した。

3  原告邦彦の症状と診療の経過

(一) 原告邦彦は、吸引分娩の方法で出生し、出生時の体重は三、一〇〇グラムであり、また原告邦彦の血液型はB型、原告キクエはO型で、いずれもRHプラス型であつた。

なお、分娩時には母子ともに別段の異常はなかつた。

(二) 原告邦彦は、出生翌日の二月四日から余り元気がなく、吸乳度は、一回につき二〇ないし三〇ミリリツトルで一日七、八回と普通であつたが、積極的に吸乳するということもなかつた。

(三) 二月五日、原告邦彦は、顔全体が黄色味を帯び、哺乳力も弱まり、一回につき一〇ないし二〇ミリリツトルで一日五、六回、そのうち二回位は嘔吐し、また、一、二回は眠つていて飲まないという状態であり、嗜眠状態(起きている時は泣き、泣き疲れて寝入るという状態)に陥ることが多かつた。

原告キクエは担当看護婦に右の様子を告げたが、右看護婦は心配ないと答えるのみで別段の処置をとらなかつた。

(四) 二月六日になると、原告邦彦は、白眼の部分の色が黄色に変り、哺乳力は更に弱まつて、二〇ミリリツトル位飲むこともあれば、五ミリリツトル位しか飲まないこともある状態であり、更に、余り泣かなくなり、ぐつたりし出した。また原告邦彦には、落陽現象が見られ、瞳が眼瞼の中に隠れて白眼だけ出す状態であつた。

原告キクエは、看護婦に対し原告邦彦の右のような眼つきの異常を訴えたが、右看護婦は別段の措置をとらなかつた。同日夕方、原告邦夫も辻川医院を訪れ、原告邦彦の眼の色が異常であることから担当看護婦に、被告に診察してもらいたい旨依頼したが、右看護婦は、被告の不在を理由にこれに応じなかつた。

(五) 二月七日の原告邦彦の容態は前日とほぼ同様であつたが、泣き声は更に小さくなり、ぐつたりしており、哺乳力も弱く、ほぼ嗜眠状態であつた。

原告キクエは、何度か担当看護婦に大丈夫かと尋ねたが、右看護婦は心配ないと答えるのみで何らの処置をとらなかつた。

(六) 二月八日朝、原告邦彦は危篤状態になり、当日の担当看護婦が被告に通報した。被告は原告邦彦出生後、初めて自ら診察した。

そして、被告は直ちに救急車を手配して、原告邦彦を板橋中央産院に転院させた。

4  板橋中央産院における経過

板橋中央産院転院時の原告邦彦の状態は、イクテロメーター(黄疸計)値(以下イ値という)四ないし五の黄疸が出ており、モロー反射弱く、元気がなく、哺乳力もほとんどなかつた。また、泣き声弱く、全身皮膚乾燥性で、落陽現象を示していて、不穏状態がみられた。なお、第一回交換輸血前の黄疸指数は一六〇、間接ビリルビン値は一デシリツトル当たり31.9ミリグラムであつた。

原告邦彦は、右板橋中央産院の加藤医師により、新生児高ビリルビン血症、核黄疸と診断された。

右加藤医師は、原告キクエに対し、「このままにしますか、交換輸血をしますか、このままにしておけばすぐ死亡しますが」と述べたが、原告キクエの依頼により、同日(二月八日)、翌九日の二回にわたり交換輸血を実施した。

原告邦彦は、右交換輸血により生命をとりとめ、二月二四日には一応症状も固定し、板橋中央産院を退院した。

5  原告邦彦の現在の状態と原因

原告邦彦は、現在歩行はもちろん坐ることさえできず、日常の起居動作は全く不可能であり、言語能力もわずかに「アーアー」と発音する程度、知能はやつと両親を識別する程度である。また、脳性麻痺による四肢体幹機能障害により、身体障害者等級表による級別一級の認定をうけた。これは、核黄疸による脳性小児麻痺後遺症に起因するものである。

6  被告の債務不履行

(一) 今日の医学常識によれば、核黄疸は、間接ビリルビンが中枢神経、大脳基底核、海馬回、視床下部、小脳歯状核等の中枢神経細胞に付着して黄染した状態をいい、神経細胞の代謝を阻害するため死亡率も高く、幸い存命しえても不可逆的な脳損傷を受けるため治ゆ不能の脳性麻痺を残す危険性の多い疾患とされている。

そして核黄疸の原因の主なものに、RH又はABO式母子血液型不適合に伴う新生児溶血性疾患(胎児の赤血球が母体を免疫する可能性のある血液型の組み合せであるいわゆる不適合妊娠により、胎児の赤血球が胎盤を通して母体に移行し、母体内で胎児の赤血球に対する免疫抗体が得られると、これが逆に胎児に移行して抗原抗体反応により胎児の赤血球を破壊――溶血――して、間接ビリルビンを胎児血中内に大量に放出させる疾患をいう。)と特発性高ビリルビン血症(新生児高ビリルビン血症ともいい、右のような血液不適合とは無関係に起こる高ビリルビン血症のことを総称する。)とがあるが、前者は一般に生後二四時間以内に黄疸が出現し(早発黄疸)、急速に増強するのに対し、後者は、一般に黄疸の出現が遅れ、最高になるのは生後四日から七日後であるとされる点に違いがあるにすぎず、臨床症状と核黄疸に至る経過については両者の間に差異がない。また、核黄疸の予防方法と治療方法は基本的に同じであつて、血清ビリルビン値を測定することと臨床症状に十分注意することにより、核黄疸の発症を早期の段階において発見し、危険限界に達する前の適切な時期に交換輸血を行うことである。

核黄疸の臨床症状は次のとおりである。

第一期 筋緊張の低下、吸啜反射の微弱化、嗜眠、モロー反射の消失、哺乳力の減退等、おおむね発病後一両日に見られ、黄疸の増強とともに自発運動が少なく、ぐつたりしてくる。

第二期 痙性症状、発熱、筋強直、後弓反張等、おおむね発病後一、二週間にみられる。

第三期 痙性症状の消退期

第四期 錐体外路症状が現れ脳性麻痺となる。

なお、第二期前後に落陽現象(眼は普通に開いたまま瞳孔部だけが下向し、一定時間固定される状態)がある。

核黄疸第一期の適切な時期に交換輸血を行えば、生命を救い、脳性麻痺後遺症を残さないことは、学理上、臨床上確認されている。

(二) 昭和四六年当時、右のような医学知識は、産婦人科開業医には十分普及しており、家庭医学書等にすら記述されていた。

(三) 右によれば、原告邦彦の核黄疸の原因がABO式母子血液型不適合による溶血性疾患又は特発性高ビリルビン血症のいずれであるかにかかわりなく、被告は、前記原告邦彦の臨床症状を綿密に観察したうえ、適確に診断し、核黄疸第一期の適切な時期(本件では出生後二日を経過した二月五日)に、設備の整つた病院への転院など交換輸血なしうる措置をとるべき注意義務があつた。

しかるに、被告は出産に立ち合つた以外は、既に手遅れの二月八日朝まで自らは一回も回診せず、また、被告の履行補助者である看護婦も原告キクエの言葉に耳をかさず、その経過を被告に逐一報告しなかつたことにより、原告邦彦の核黄疸発生の危険時期を看過し、交換輸血の時期を失した結果、原告邦彦に核黄疸を発生させ、よつて脳性小児麻痺後遺症を生ぜしめたものである。したがつて、原告邦彦の脳性麻痺は、被告の診療契約上の債務不履行に基づくものであり、被告はこれによつて原告らの被つた後記損害を賠償すべき責任がある。

7  損害

(一) 原告邦彦の得べかりし利益

金三、九〇五万二、五九一円〈他は省略〉。

(二) 原告邦彦の慰藉料

金一、五〇〇万円〈他は省略〉。

(三) 原告邦彦の付添費用

近親者付添費として一日金三〇〇〇円、原告邦彦の余命は七一年であるから、右金額を基準とし、中間利息を新ホフマン方式により控除して計算すると、金三、二七五万八、〇二〇円〈他は省略〉。

(四) 原告邦夫、同キクエの慰藉料各金五〇〇万円〈他は省略〉。

〈中略〉

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3(一)  同3(一)前段の事実は認め、後段の事実は否認する。

被告は、同日午後四時ごろから、原告キクエに異常外出血があることに気付き、かつ、羊水混濁、児心音の微弱等、切迫仮死の徴候を認めたので、母子の安全のため吸引分娩を行つた。また娩出二時間前から出産後一定の時間、母子ともに酸素吸入を施したが、母体からの出血と遷延分娩とにより、娩出児は酸素欠乏状態をおこしていた。

(二)  同3(二)の事実は否認する。原則として出産後二四時間は哺乳を行つていない。

(三)  同3(三)の事実は否認する。

(四)  同3(四)の事実は否認する。なお、二月六日に至り、漸く、顔面、躯間に軽度の可視黄疸が現れ、哺乳力が若干低下の傾向にあつた。

(五)  同3(五)の事実は否認する。なお、前日に比べて眼結膜、顔面、躯間の黄疸が強く現れ、イ値は3ないし3.5を示したが、正常黄疸の範囲内であつた。

(六)  同3(六)前段の事実は否認する。七日夜から八日早朝にかけて黄疸が急速に増強してきた。

後段の事実は認める。

4  同4の事実は不知。

5  同5の事実は不知。

6(一)  同6(一)は認める。

(二)  同6(二)は認める。

(三)  同6(三)は争う。

前記のとおり、原告邦彦は、二月八日に突然重症黄疸を呈したのであり、それに対して被告は速かに救急車を手配し、設備の整つた板橋中央産院に転院させたのであるから、被告に債務不履行はない。

7  同7は争う。

三  被告の主張

本件分娩に際しては、切迫仮死が診断され、原告邦彦は低酸素状態にあつた。二月六日になつて初めて、原告邦彦に軽度の可視黄疸が現れ、七日に黄疸は多少増強を示した程度であり、その間落陽現象や嗜眠状態も認められなかつた。従つて、原告邦彦には早発黄疸やその急速増強等の症状は見られなかつたのであるが、二月七日夜から八日早朝にかけて、急激に黄疸が増強し、哺乳力が低下するに至つたものである。

以上の経過にかんがみると、原告邦彦の脳性麻痺の原因は、出生時における低酸素症に特発性高ビリルビン血症が合併したものであり、仮に然らずとするも、右低酸素状態並びに肝臓障害、脳血管関門透過性亢進その他の体質的欠陥を基調とした特発性高ビリルビン血症であると考えられる。これらに対する治療法はなく、交換輸血も無効である。

したがつて、本件後遺症は、交換輸血の時期に関係なく生じざるをえなかつたものである。

第三  証拠〈省略〉

理由

一原告邦彦の出産とこれに伴う診療契約の締結

請求原因1、2の各事実は当事者間に争いがない。

二辻川医院における原告邦彦の症状の経過等

1  原告邦彦が昭和四六年二月三日、吸引分娩により出生し、出生時の体重が三、一〇〇グラムであつたこと、原告邦彦の血液型はB型、同キクエの血液型はO型で、いずれもRHプラス型であること、被告が、昭和四六年二月八日朝、原告邦彦を診察のうえ、救急車を手配して原告邦彦を板橋中央産院に転院させたことは、いずれも当事者間に争いがない。

2  〈証拠〉に弁論の全趣旨と前記争いのない事実とを総合すると、次の事実が認められ、〈る。〉

(一)  原告キクエの出産予定日は昭和四六年三月四日とされていたが、同年二月三日午前一時ごろ、少量の早期破水があつたため、原告キクエは同日午前四時ごろ辻川医院に入院し、同日午後四時ごろ陣痛が始り、四時半ごろ分娩が近づき分娩室に入つた。被告は、原告キクエを診察した結果、児心音が微弱であること、原告キクエの軟産道が強靱であること、通常より出血量がやや多いこと及び前記のように早期破水があつたこと等から判断して、吸引遂娩術を施行することとし、午後四時五五分、右方法により頭部にさほどの損傷を与えることなく原告邦彦を娩出することに成功し、その直後、原告邦彦は元気な産声をあげた。なお、原告キクエの出血量は七〇〇ミリリツトル位であつた。

(二)  二月四日、原告邦彦は経過良好で憂慮すべき変化はなかつた。

(三)  二月五日、原告キクエには原告邦彦がややミルクの飲み方や顔色が悪くなつたように思われたがさほどの著明な変化は認められなかつた。

(四)  二月六日、原告邦彦に可視黄疸が現れ、ミルクを飲む量が若干減り、泣き声もわずかに弱くなつた。原告キクエはそのことを担当の看護婦に訴えたが、同看護婦は心配ないと答えるだけで別段の措置をとらなかつた。同日午後七時ごろ辻川医院を訪れた原告邦夫も看護婦に対し被告による診察を依頼したが、被告の不在を理由に結局診察してもらえなかつた。

(五)  二月七日朝、原告邦彦の黄疸は前日より増強し、哺乳量は更に減り、泣き声も弱くなつてきていた。そして、同日昼ごろ、被告が診察した際、右のような原告邦彦の状態を認めたので、イクテロメータを初めて、原告邦彦に使用したところ、イ値は3ないし3.5であつた。なお、当日の被告の原告邦彦に対する診察はこの一回限りであつた。

(六)  二月八日午前七時ごろ、原告邦彦は、ミルクを飲まず、元気もなく、黄疸が強く発症していた。午前八時ごろ、被告は、看護婦の通報を受けて原告邦彦を診察したが、その結果核黄疸の発生の危険性を認識し、直ちに、交換輸血などの設備の整つている板橋中央産院に救急車で原告邦彦を転院させた。

三板橋中央産院における原告邦彦の症状

〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

1  板橋中央産院へ転送された二月八日午前八時すぎごろの原告邦彦の症状は、イ値が四ないし五、項部硬直があり、モロー反射弱く、また、元気がなく哺乳力は皆無に近く、採血時等においても泣き声が弱く、全身の皮膚が乾燥していて強い脱水症状を呈しており、わずかながら落陽現象も認められ、また、手足を常に動かしていて不穏状態がみられた。なお、この時点で、原告邦彦を診察した同産院の加藤繁医師は、核黄疸を疑つて原告邦彦の血清総ビリルビン値(以下「血清総ビ値」という。通常、一デシリツトル当たりのミリグラム数で表す。)を測定したところ、32.72という高い数値を示したため、直ちに交換輸血を施行することとし、その準備に取りかかつた。その間にも原告邦彦の黄疸症状は一層強くなり、手のひらや足の裏にも黄疸が現れ、さらに、落陽現象もかなり著明に認められるようになつた。

第一回交換輸血は、同日午後三時一五分から五時三〇分まで行われ、O型血液六〇〇ミリリツトルが使用された。しかし、その後も不穏状態は持続し、落陽現象が存した。なお、右交換輸血直前の血清総ビ値は31.4であり、交換輸血直後の血清総ビ値は29.68であつた。

2  二月九日の症状は、イ値五、血清総ビ値は30.90で、黄疸色は強く、足の裏の黄疸は薄くなつてきたが、手のひらにはまだ黄疸色が残つていた。また、元気がなく、哺乳力もほとんどなく、常に上肢を動かし、不穏状態を呈していた。

午後三時三〇分から五時二五分まで第二回交換輸血が行われ、四〇〇ミリリツトルの血液が使用された。そして、不穏状態は一時止んだが、後弓反張のような症状を示すことがあつた。なお、右交換輸血後の血清総ビ値は21.22に減少した。

3  二月一〇日、原告邦彦は落陽現象を呈し、項部硬直は強く、後弓反張も著明であつた。また、不穏状態はなかつたが、哺乳力は弱かつた。

4  二月一二日、やはり、落陽現象を示し、後弓反張もあり、哺乳力も弱かつた。

5  二月一六日、項部硬直は強く現れ、後弓反張も顕著で、ミルクの哺乳も不十分であつたが、黄疸は顕著に減少した。

6  二月一七日、項部硬直は強く現れ、後弓反張も顕著であつたが、ミルクの哺乳量は増えた。

7  二月一九日、哺乳力はよくなつてきた。

8  二月二〇日、特に変化はないが、黄疸はほとんどなく、徐々に体重も増加してきた。

9  二月二二日、項部硬直があり、後弓反張も強く現れたが、黄疸は消失した。

10  二月二四日、原告邦彦は症状が固定したため板橋中央産院を退院した。退院時の加藤医師の診断は、ABO式母子血液型不適合又は特発性高ビリルビン血症による核黄疸であつた。

〈証拠判断略〉

四原告邦彦の現在の状態

〈証拠〉によれば、原告邦彦は、脳性麻痺による四肢体幹機能障害により、身体障害者等級表による級別一級の認定を受けたこと、現在、一人で歩行することも、排泄することもできず、言葉も話せないこと、しかし、原告邦夫、同キクエ両名は東京小児療育病院ほかで機能回復訓練を受けさせたところ、食事は介助なしにできるようになつたこと、言語、歩行、排泄等の機能訓練は、今なお続けていることを認めることができる。

五核黄疸について

請求原因6(一)及び(二)は当事者間に争いがない。

ところで、〈証拠〉によれば、母子血液型不適合に伴う新生児溶血性疾患の場合、二四時間以内の早発黄疸が特徴であり、生後三、四日ごろまでに核黄疸になるのに対し、特発性高ビリルビン血症による核黄疸発生の時期は、生後五、六日ごろであることが認められる。

六原告邦彦の脳性小児麻痺の原因

1 前記二及び三で認定した原告邦彦の病状と前記五の当事者間に争いのない核黄疸の臨床症状とを対比し、更に原告邦彦の脳性小児麻痺がアテトーゼ型であること及び鑑定人安達寿夫の鑑定結果を総合すれば、原告邦彦の脳性麻痺の原因が核黄疸であることは優にこれを認めることができる。

2  ところで、〈証拠〉に前掲鑑定結果に前認定の原告邦彦の病状の経過を総合して考察すると、原告邦彦の核黄疸の原因が母子血液型不適合に伴う新生児溶血性疾患によるものか、特発性高ビリルビン血症によるものかはいずれとも断じ難いが、原告邦彦について、核黄疸第一期症状は、遅くとも二月七日の、被告が原告邦彦を診断したところには出現しており、同第二期症状は、二月八日午後三時一五分の第一回交換輸血実施時ごろにはすでに出現していたものと認めるのが相当である。

3  なお、右鑑定結果及び証人安達寿夫の証言中には、板橋中央産院における第一回交換輸血前後の血清総ビ値にほとんど差がないことから、原告邦彦の血清ビ値は二月八日にきわめて急速に上昇した比較的稀な例であるとの部分がある。

しかし、右証言及び鑑定結果自体に照らし、右は、原告邦彦の脳性麻痺の原因が核黄疸によるものであること、核黄疸第一期症状の適切な時期に交換輸血を実施すれば、後遺症としての脳性小児麻痺を残さないことをも否定するものではないことが明らかである。

4  被告は、原告邦彦の脳性麻痺の原因は出生時における低酸素症に特発性高ビリルビン血症が合併したものか、然らずとするも、右低酸素状態と肝臓障害等の体質的欠陥を基調とした特発性高ビリルビン血症であつて、交換輸血を行つたとしても脳性小児麻痺の後遺障害の発生を免れ得なかつた旨主張〈中略〉する。しかし、〈証拠〉によると、低酸素症による脳障害が分娩進行中及びその直後に生じたとすれば、出生時に高度仮死又はチアノーゼ、呻唸その他酸素欠乏のあつたことが推定されるような症状があつたはずであり、また、筋緊張の低下、けいれん、弱い啼泣等、脳障害を思わせる徴候が見られたはずであるのに、被告の作成にかかる診療録には、出生時の原告邦彦の状態について右のような異常があつたことをうかがわせる所見はなんら記録されていないことが明らかである。そして、被告本人も、何か異常があつたとすればカルテに書いたはずである旨供述しているのであるから、以上に指摘した点にかんがみると、被告本人尋問の結果中被告の主張に添う部分は採用することができ〈中略〉ない。

七被告の債務不履行

〈証拠〉によれば、イ値と血清ビ値との間には相関関係はあるが、実際の数値を比較すると相当大きなばらつきがあり、イ値三のときに血清ビ値一〇プラスマイナス五、イ値3.5のときに血清ビ値一二プラスマイナス五というように、イ値の各値に相当する血清ビ値にはプラスマイナス五程度のばらつきがあること、イクテロメーターはあくまで血清ビ値の測定を要する児のスクリーニングの手段として用いられるべきものであり、血清ビ値を測るべき児のスクリーニングのための異常のレベルを3.5あたりにする必要があること、また黄疸の進行状況は一定でなく、朝夕において著しく異なる場合もあること、核黄疸の診断のためには、患児の臨床症状の監視とそれに伴う血清ビ値の測定が必要であることを認めることができる。

ところで、本件核黄疸の原因がABO式母子血液型不適合に伴う新生児溶血性疾患、特発性ビリルビン血症のいずれであるにせよ、前記認定のとおり、被告は二月六日、原告邦彦に可視黄疸を認め、翌七日には黄疸の増強、授乳力の低下及び元気のなさ(前記のとおり、これが核黄疸の第一期症状と認められる)を認めたのであり、かつ、イ値は上限3.5を示したのであるから、遅くとも二月七日には、核黄疸第一期症状の発症を疑い、血清ビ値を測定するための所要の措置を講ずるとともに(〈証拠〉によると、昭和四六年ごろの医療水準では、血清検査のための新生児からの採血は、熟練した医師でないと実施困難であつたことが認められるが、被告が自ら採血を実施しえない場合には、検査のための他病院への移送を考慮すべきであつたことはいうまでもない。)、更に原告邦彦の容態を注意深く監視することにより核黄疸を初期の段階において発見し、機を失せず転院をも含む交換輸血のための措置をとるべき注意義務があつた。

しかるに、被告は、原告邦彦の黄疸は生理的黄疸の範囲内で核黄疸の発生の危険はないものと即断して、血清ビ値の測定のための所要の措置を講じなかつたのはもとより、前記のとおり、二月八日朝看護婦から通報を受けるまで原告邦彦を放置してその間黄疸の進行状況を注意深く観察することを怠つたため、核黄疸の発症を早期に発見し得なかつたのであるから、原告邦彦の診療につき医師として十分な診療義務を尽さなかつたものと認めるほかはない。なお、被告本人の供述中には、看護婦には原告邦彦の黄疸につき十分注意をするように申し渡したとの部分があるが、たとえそうであつたとしても、右看護婦は被告の履行補助者であり、やはり、原告邦彦の核黄疸第一期症状を看過したのであるから、被告の診療契約上の債務不履行(不完全履行)の認定に消長をきたさないものというべきである。

八被告の債務不履行と原告邦彦の脳性麻痺との間の相当因果関係

核黄疸第一期の適切な時期に交換輸血を行えば脳性麻痺後遺症を残さないことが学理上、臨床上確認されていることは前述のように当事者間に争いがないところ、二月八日午後板橋中央産院において交換輸血が施行されたころには、原告邦彦の核黄疸が既に第二期の段階に進行していたことは前認定のとおりであり、前掲鑑定結果によれば、板橋中央産院の医師は最善の努力をして治療したものと考えられ、診療上の手落ちはなかつたことが認められるので、原告邦彦の核黄疸後遺症としての脳性麻痺は、被告の前示債務不履行により交換輸血の機を失したために生じたものであることが明らかであり、被告は、これによつて原告らの被つた損害について賠償責任を免れないものといわなければならない。

九損害

1  原告邦彦の逸失利益

原告邦彦が昭和四六年二月三日生れの男子であることは当事者間に争いがなく、同原告は前示被告の債務不履行による脳性麻痺罹患(以下「本件事故」という。)がなければ将来順調に成長し、高等学校卒業後は六七才に達するまで稼働し、収入を得たであろうと推認することができる。しかるに、同原告は、前記後遺症の程度からみて、本件事故により労働能力を一〇〇%喪失したものというべきであり、その逸失利益の算定については、当裁判所は、次のような方法によることが相当であると解する。

すなわち、同原告の稼働可能年数を一八才から六七才に達するまでの四九年間とし、毎年の収入額を金二七三万一、七〇〇円(〈証拠〉の昭和五二年賃金センサス第一表、産業計、企業規模計、新制高等学校卒男子労働者全年令平均給与欄の記載によつて認められる、一か月当たりの現金給与額一七万七、一〇〇円を一二倍したものに年間賞与その他の特別給与額六〇万六、五〇〇円を加えた額)として、年五分の割合による中間利息をライプニツツ方式により控除した額を算出すると、金二、〇六二万二、九六九円となる。

2,731,700円×(19.2390−11.6895)=20,622,969円

したがつて、原告邦彦は本件事故により右同額の得べかりし利益を失つたということができる。

2  原告邦彦の慰藉料

原告邦彦が脳性麻痺後遺症により、生涯精神的苦痛に苦しむであろうことは想像に難くなく、本件債務不履行の経過、内容等諸般の事情を考慮すると、原告邦彦に対する慰藉料としては、金四〇〇万円が相当であると認める。

3  原告邦彦の付添費用

前記認定のとおり、原告邦彦は、現在歩行、排泄ともにできず、常時他人の介助を必要とする状態である。しかし、機能回復訓練の結果、食事は介助なしにできるようになつたことは上来認定のとおりであり、更に歩行、排泄も右訓練の結果次第では、回復の見通しも暗くないことが推認される。したがつて、原告邦彦が七一年間生存した場合にその全期間にわたり常時介助を要する状態にあるとは必ずしも断定することができない。しかし、現在までの経過にかんがみると、同原告に対する機能回復訓練は相当長期間にわたつて継続する必要があると考えられるので、介助を要する期間は、満一歳に達した時から一六歳に達するまでの一五年間とするのが相当である(一歳未満の時期における要介護状態は乳幼児に共通のもので、本件事故と相当因果関係がない。)。

そして、近親者付添費は一日二、〇〇〇円をもつて相当と考えられるので、その一五年分(一年を三六五日とする。)につき、年五分の割合による中間利息をライプニツツ方式により控除した額を算出すると、金七二一万六、三四二円となる。

2,000円×365×(10.8377−0.9523)=7,216,342

したがつて、原告邦彦は、本件事故により右同額の積極損害を被つたものと認められる。

4  原告邦夫、同キクエの慰藉料

原告邦夫、同キクエ両名は、初めての男子出生の喜びも束の間、一転して重篤な身体障害児の親となるに至つたものであり、原告邦彦のすこやかな成長を見る楽しみを奪われたにとどまらず、日常の介護の手間や愛児の将来についての不安などにより多大の精神的苦痛を被つていることは想像に難くない。

ところで、原告邦彦の前記後遺症の程度は、生命侵害に比肩しうるほど重篤なものであるから、民法七一一条の精神に照らし、父母である原告邦夫及びキクエは本件診療契約の当事者として被告に対し本件事故に基づく精神的苦痛に対する慰藉料請求権を有するものと解すべきであり、右慰藉料としては、後遺症の程度など諸般の事情を考慮すれば、各自につき金二〇〇万円づつが相当である。〈以下、省略〉

(近藤浩武 若林昌俊 中嶋秀二)

別紙

訴訟費用の種別

民事訴訟費用等に関する法律

三条一項所定の申立ての手数料

その他の訴訟費用

負担すべき当事者

原告 大嶋 邦彦

原告 大嶋 邦夫

原告 大嶋キクエ

被告

被告

負担割合

九七分の五五

九七分の三

九七分の三

九七分の三六

全部

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